保育園、通い夫に決定
保育園の結果発表があったのは2月16日金曜日。
まだかまだかと待っていた発表。。。
2人が保育園に入れなかったら、家売ろう。そして神戸に戻ろうと、やや本気混じりの冗談を言うのも、もう飽きていた。
2月中旬の発表とは聞いてたけど、しっかり中旬でしかも金曜日ってどんだけギリギリ狙って、しかも従順やねん。
で、結果は、、、2人とも入れた!しかも同じとこ!!
いやーーーーーーー、良かった。
数年前から市の方針で、保育園に入れるために別々のところもやむを得ないとなっていると聞いてたから覚悟はしてたけど。
先週面接を終え、いつのまにか子供たちは保育園に行くことを楽しみにしている。
一時保育を行くのにも嫌がってたから、4月から妻が働き出したらどうなる事かと思ってけど、なんとか大丈夫そう。
あとは自分がちゃんと起きて、子供を送っていけるのかが不安。
2週間間後には、妻も働き出す。
園に持っていく布団、弁当箱はどうする?
カウントダウン。
妻の祖父が亡くなった話
仕事から帰ってきて、「祖父の熱が1週間続いていてそろそろヤバい」と聞いた次の日に亡くなった。
93歳。
会ったことがあるのは、施設に入る前の、たぶん2回。
そろそろヤバいと聞いた日に、会いに行かんくていいの?と聞いたが、別に良いと言った妻。
遠くの施設に入っているから父親に車出してもらわなアカンけど、その父親と祖父の仲が悪いらしい。
なぜそういった事になったのか聞いたが、壮絶で、触りだけで辞めた。
でも、出棺時には涙ぐんでいた妻。
良い思い出の話もしてくれた。
赤紙が届いたが、戦争が終わり出征しなかったとか、色んなことを覚えていた。
なので、別に会わなくて良いと言っていたことが、やるせない。
お通夜前日困ったことは、子供の服装。
2歳の娘には黒い服装がないということ。
あと、親戚があつまると同じ世代の子供が7人になり、すごく騒がしかった。
自分の知らない人、さらには死ぬということについてわかっていない子供にとって、静かにしとかなアカン葬式は退屈で仕方ないやろうけど。
びっくりしたのは、遺影がデジタルで、背景が変わる。
しかも、背景は縁もゆかりもない場所と聞いた時は、意外すぎて心の中で笑ってしまった。
満天の星空。海と夕焼け。
関係ないって、そりゃないやろ。関係あれよ。
義祖父の遺影をみて「死んだ子?」と、悪意のない語彙力を遺憾無く発揮させた長男が、今ソファから寝返りをうって転げ落ち、顔面を打ったが、まだ寝続けている。
バスツアー見学会
12月に引き続き、1月のバスツアー見学会もオーナー宅としてA家が選ばれた。
参加19組と今年度1番参加組数が多いツアーに。
今回見て回るのはミサワデザイナー宅と我が家。
もう一軒がデザイナーの家ということで自然と力が入る妻。
どんな家やったか教えてな!と気合十分(笑
なんでやねん。
社員宅を見て回るのは初めての試みやったんですが、面白かったのは建物の間口と奥行きが同じで延床面積がほぼ同じ。
なのに、間取りがガラッと全然違う。
土地が大きかったら色々な間取りが生まれるのはわかるけど、こうも違うのかと。
敷地条件、家族構成、趣味が違えばデザインも違う。
当たり前やけど、面白かった。
本日は昭和基地設営記念日。および僕の誕生日の翌日。さらに、結婚記念日の翌々日。
昨日シレッと誕生日は終わりました。
初めまして34歳。
昨晩、帰宅すると外に漏れる灯り。
あれ?サプライズ的な!?なんてリビングに入るとそこには
なんと
赤ワイン片手に、床に突っ伏して寝てる妻。
はい。
61年前の1957年の今日、日本の第一次南極観測隊である永田武隊長が南極の東オングル島に上陸して、そこを昭和基地と命名。
建設が始まったのは同年の2/1。
じゃあ設営記念日は2/1じゃね?
そんなことはさておき、本日のウェザーニュースでミサワホームがピックアップされています。
現在、ミサワホームで建設中の基本観測棟や、50年前に要請された項目などが記載されています。
その項目を満たせたのがプレハブ住宅のミサワホームだけだったらしい。
プレ(前もって)ファブリケーション(製造する)
決して安価なプレバブ小屋を意味している訳ではございません。
実は技術力の結晶なんです。
ミサワホームが昭和基地の建設に協力しているのが約50年前の1967年から。
そしてミサワホームは創立50周年。
そう。創立当初から南極に建設しているんです。
凄くないですか?